2009年08月06日
ある戦争未亡人、逝く
きょうは、8月6日 「広島原爆の日」ですね。
第2次世界大戦(太平洋戦争)の終戦から、
もう何年経ったのでしょうか?
そんなことを考えておりましたら、
つい最近、
親戚の戦争未亡人でいらした伯母様が、
天寿をまっとうされました。
静かで、優しくて、気品のある美しい伯母様でした。
結婚直後、夫である私の伯父は戦地へ出征。
その後、ご長女様が誕生されました。
しかし、愛する夫は、昭和20年、南方の海に、
その若き命を散らせ、二度と妻子の元へは
戻れませんでした。
その後、伯母様はずっと再婚もされず、
亡き夫の忘れ形見である一人娘さんを育てる人生を
まっとうされました。
伯母様がまだお元気でいらした時に、
まだ若かった私は、不躾な質問をしたことがあります。
それは、いつか伯母様に尋ねてみたい、と思っていた疑問でした。
「伯母様は、ご主人様が戦死されてから、
その後、どうして再婚なさらなかったのですか?」
すると、私の予想していた通りのお答えが返ってきました。
「それはね、あの人以上の男の人がいなかったからよ。
私には、そのことがわかっていたから、他の男性を探すことも
しませんでしたし、また、探そうとも思わなかったんですよ」
20代で戦死された伯父様は、大変な秀才で、また美男でもあり、
几帳面で、働き者で、心の優しい親孝行な方だったと、
昨年亡くなりました実父からも聞き及んでおります…
伯母様の、静かだけれども、亡き夫君への強く熱い愛情に
少しだけ触れた思いがいたしたものでした。
そして、今回、物静かでいらっしゃったけれども、
我慢強く、聡明な方だったと、
今は亡き伯母様の凛とした風情を偲びました。
これこそ、素晴らしい夫婦愛。
とても、凡庸な私なぞ真似のできないことで、頭が下がります。
父の顔を知らずに育った、その娘さんの年齢がそのまま、
まさに、愛する夫を亡くされた伯母様が生き抜いてこられた
戦後の年月、64年なのだ、と改めて知らされ、
胸の奥がジーンと疼きました。
戦後の伯母様のご苦労を思うと、涙があふれてきました。
戦争は、まだ終わってはいない!
まだまだ、続いている!
後遺症は、まだまだ続くでしょう。
戦争とは、本当に、罪深いものですね。
被爆地、広島、長崎の皆様方にとりましては、
後遺症としての傷は、心にも、体にも、
まだまだ本当に深刻なものがあるでしょう。
「これで、あの世で、やっとお父さんと逢えますね。
お母さん、どうぞ、逢いたかったお父さんに甘えて、
夫婦の時間を取り戻してくださいね」
ご遺族である娘さんのこのコメントに、
またまた泣けてきて仕方がありませんでした。
「居て当然だ」と思っている、愛する家族が、
「今日、居てくれている」
ということはー
よくよく考えてみると、
本当に奇跡的な、有難い幸せであり、
この奇跡に気づかずに、
ついつい私たちは、
日々の不満やゴタクばかりを感じて、
家族とぶつかったりしがちですよね。
今日は、
毎日、当たり前のように顔を会わせている家族に、
当たり前にしゃべったり食事をしたりできている
この日々の営みに、
“感謝の気持ち”を、ちょっとでも持てると
(ステキだなぁ~)
と、しみじみ感じさせられた一日でした。
第2次世界大戦(太平洋戦争)の終戦から、
もう何年経ったのでしょうか?
そんなことを考えておりましたら、
つい最近、
親戚の戦争未亡人でいらした伯母様が、
天寿をまっとうされました。
静かで、優しくて、気品のある美しい伯母様でした。
結婚直後、夫である私の伯父は戦地へ出征。
その後、ご長女様が誕生されました。
しかし、愛する夫は、昭和20年、南方の海に、
その若き命を散らせ、二度と妻子の元へは
戻れませんでした。
その後、伯母様はずっと再婚もされず、
亡き夫の忘れ形見である一人娘さんを育てる人生を
まっとうされました。
伯母様がまだお元気でいらした時に、
まだ若かった私は、不躾な質問をしたことがあります。
それは、いつか伯母様に尋ねてみたい、と思っていた疑問でした。
「伯母様は、ご主人様が戦死されてから、
その後、どうして再婚なさらなかったのですか?」
すると、私の予想していた通りのお答えが返ってきました。
「それはね、あの人以上の男の人がいなかったからよ。
私には、そのことがわかっていたから、他の男性を探すことも
しませんでしたし、また、探そうとも思わなかったんですよ」
20代で戦死された伯父様は、大変な秀才で、また美男でもあり、
几帳面で、働き者で、心の優しい親孝行な方だったと、
昨年亡くなりました実父からも聞き及んでおります…
伯母様の、静かだけれども、亡き夫君への強く熱い愛情に
少しだけ触れた思いがいたしたものでした。
そして、今回、物静かでいらっしゃったけれども、
我慢強く、聡明な方だったと、
今は亡き伯母様の凛とした風情を偲びました。
これこそ、素晴らしい夫婦愛。
とても、凡庸な私なぞ真似のできないことで、頭が下がります。
父の顔を知らずに育った、その娘さんの年齢がそのまま、
まさに、愛する夫を亡くされた伯母様が生き抜いてこられた
戦後の年月、64年なのだ、と改めて知らされ、
胸の奥がジーンと疼きました。
戦後の伯母様のご苦労を思うと、涙があふれてきました。
戦争は、まだ終わってはいない!
まだまだ、続いている!
後遺症は、まだまだ続くでしょう。
戦争とは、本当に、罪深いものですね。
被爆地、広島、長崎の皆様方にとりましては、
後遺症としての傷は、心にも、体にも、
まだまだ本当に深刻なものがあるでしょう。
「これで、あの世で、やっとお父さんと逢えますね。
お母さん、どうぞ、逢いたかったお父さんに甘えて、
夫婦の時間を取り戻してくださいね」
ご遺族である娘さんのこのコメントに、
またまた泣けてきて仕方がありませんでした。
「居て当然だ」と思っている、愛する家族が、
「今日、居てくれている」
ということはー
よくよく考えてみると、
本当に奇跡的な、有難い幸せであり、
この奇跡に気づかずに、
ついつい私たちは、
日々の不満やゴタクばかりを感じて、
家族とぶつかったりしがちですよね。
今日は、
毎日、当たり前のように顔を会わせている家族に、
当たり前にしゃべったり食事をしたりできている
この日々の営みに、
“感謝の気持ち”を、ちょっとでも持てると
(ステキだなぁ~)
と、しみじみ感じさせられた一日でした。
Posted by noapitt at
18:15
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