2012年10月10日
10月10日の想い出
きょうは、10月10日ですネ。
かつては、東京オリンピックが開催された日を記念して
10月10日が「体育の日」で、国民の祝日でしたよね。
今は、日曜日と連動させて連休が多くなるようにと、
今月では、7日の日曜日の次の月曜10月8日が
「体育の日」でした。
10月10日は、
私の弟が誕生した日でもあり、亡くなった日でもあります。
朝弟が生まれたという嬉しい知らせを伯母から聞き、
弾む心で卒園した幼稚園の運動会に参加しました。
江平小学校3年生でした。
いつもビリから数えた方が早い私が、
初めて徒競走で1等賞をとりました。あの日の1等賞が
人生最初で最後の1等賞となりました。
卒園した幼稚園の運動会が賑やかに楽しく終わりました。
日が傾き始め、西の空が茜色に染まってきた頃、
運動会会場を後にしようとしていた私の耳に、
男子の友達の声が聞こえてきました。
姿が見えなくなった妹さんの名前を何度も何度も呼びながら、
心配そうに探している声でした。
その声を聞いているうちに、私も何だか不安で
哀しい気持ちになってきました。
「妹さんはきっと見つかるだろう」と考えて、
急いで家路をたどりました。
「赤ちゃんは? 今から会いに行こうや!」
明るく話しかけた私に、伯母が静かに言いました。
「赤ちゃんは死んだとと」
10月10日は、嬉しく哀しい日となりました。
それから数十年が経ち、
ある日、福太郎というオスのテリア犬が
我が家の一員になりました。
高原町からの帰り道、高岡辺りを車で走っていた時、
私が見つけて拾って来た迷い子犬でした。
その日以来、18年間、福太郎は我が家の家族の輪に
堂々と加わっていました。
特に、私の後に授かった子供は3人とも亡くしてしまった母とは
いつも一緒で、
まるで本物の親子のようでした。
「何年たっても、幼稚園にも小学校にも行きません」
と、近所の人に福太郎を嘆く日もありましたが。
母と福太郎が一緒にいる姿を目にするにつけ、
私は感じていました。
「福太郎は、弟の魂の生まれ変わりで我が家にやってきて、
母も弟の魂も、この世で共有するはずだった時間を
一緒に楽しんでいるんだなぁ」と。
かつては、東京オリンピックが開催された日を記念して
10月10日が「体育の日」で、国民の祝日でしたよね。
今は、日曜日と連動させて連休が多くなるようにと、
今月では、7日の日曜日の次の月曜10月8日が
「体育の日」でした。
10月10日は、
私の弟が誕生した日でもあり、亡くなった日でもあります。
朝弟が生まれたという嬉しい知らせを伯母から聞き、
弾む心で卒園した幼稚園の運動会に参加しました。
江平小学校3年生でした。
いつもビリから数えた方が早い私が、
初めて徒競走で1等賞をとりました。あの日の1等賞が
人生最初で最後の1等賞となりました。
卒園した幼稚園の運動会が賑やかに楽しく終わりました。
日が傾き始め、西の空が茜色に染まってきた頃、
運動会会場を後にしようとしていた私の耳に、
男子の友達の声が聞こえてきました。
姿が見えなくなった妹さんの名前を何度も何度も呼びながら、
心配そうに探している声でした。
その声を聞いているうちに、私も何だか不安で
哀しい気持ちになってきました。
「妹さんはきっと見つかるだろう」と考えて、
急いで家路をたどりました。
「赤ちゃんは? 今から会いに行こうや!」
明るく話しかけた私に、伯母が静かに言いました。
「赤ちゃんは死んだとと」
10月10日は、嬉しく哀しい日となりました。
それから数十年が経ち、
ある日、福太郎というオスのテリア犬が
我が家の一員になりました。
高原町からの帰り道、高岡辺りを車で走っていた時、
私が見つけて拾って来た迷い子犬でした。
その日以来、18年間、福太郎は我が家の家族の輪に
堂々と加わっていました。
特に、私の後に授かった子供は3人とも亡くしてしまった母とは
いつも一緒で、
まるで本物の親子のようでした。
「何年たっても、幼稚園にも小学校にも行きません」
と、近所の人に福太郎を嘆く日もありましたが。
母と福太郎が一緒にいる姿を目にするにつけ、
私は感じていました。
「福太郎は、弟の魂の生まれ変わりで我が家にやってきて、
母も弟の魂も、この世で共有するはずだった時間を
一緒に楽しんでいるんだなぁ」と。
Posted by noapitt at 10:05│Comments(0)
│つれづれエッセイ
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